「マラナタ」って何ていう意味?
- Asher Intrater
- Dec 14, 2024
- 2 min read
ティクン・グローバル
イスラエル、エルサレム

「マラナタ」(Ⅰコリント16:22、黙示録22:20)という表現は、主の到来を願う信仰と祈りの叫びであり、通常は "主よ、来てください!"と訳されます。これは、"御国が来ますように"(マタイ6:10)や "祝福あれ... 来られる方に"(マタイ23:39)という祈りと関連しています。
この言葉は新約のギリシャ語原文にあるのですが、ギリシャ語ではなくアラム語です。律法と預言書(タナッハ)は、ダニエル書を中心とするアラム語の部分を除いては、ほとんどすべてがヘブライ語で書かれています。「マラン」は主、「アタ」は来るという意味です。
預言書には、メシアの到来について2つの記述がある。ひとつは、ゼカリヤ書9章9節にある「へりくだり」の描写である。「見よ、あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って」。私たちは福音書から、これはイェシュアが十字架につけられる前にエルサレムに入ったことで成就したと理解しています(マタイ21:5)。
もう一つの記述は、栄光のメシアです。ダニエル書7:13-14「見よ、人の子のような方が天の雲とともに来られた....この方に、主権と栄誉と国が与えられ...」大祭司たちの前でイェシュアがされた証言(マタイ26:64)および、終末時代についてのメッセージ(マタイ24:30)の中で、栄光のうちに天の雲に乗って来る人の子として自らについて言及しています。これらの引用はいずれも、ダニエル書7章の預言について言及しているのです。
ダニエル書のその箇所はアラム語で、「来る」を意味する語は「アタ」です。新約の「マラナタ」という叫びも、ダニエル7章を言及しています。それは要するに、「イェシュア、あなたが主、『マラン』です。私たちは、ダニエル書7:13-14に記されているように、あなたが天の雲に乗って力と栄光をもって 「アタ」 来られることを信じます。私たちはこれらの預言が成就するよう祈り、あなたが再び来られるよう、お招きします。」
マラナタ、アーメン