中東におけるイスラムの変化
- Asher Intrater and Homer Lanier
- 7 days ago
- 6 min read
ティクーン・グローバル
イスラエル、エルサレム

現在のイスラエルとイランの戦争は中東を変えつつあります。イスラム世界の様相を一変させてしまうかも知れません。
中東における軍事的緊張は、多くの人が思っている以上に宗教的教義と関係が深いのです。
重要な宗教的側面のひとつは、イスラム教のスンニ派とシーア派の違いです。イスラム教の誕生はユダヤ教とキリスト教への反動と見られるかもしれませんが、スンニ派とシーア派の分裂はイスラム教そのものに内在するものなのです。
イスラム教には多くの小さな下位グループがありますが、主要な宗派はスンニ派とシーア派の2つです。分裂はAD632年のムハマッドの死後に始まりました。当時ムハマッドには生存していた息子がいなかったため、後継者を誰にすべきかが不明でした。
その一方のシーア派においては、ムハマンドは神に選ばれたのだから、後継者は肉親でなければならないと考えました。娘のファティマは、ムハンマドの最初のいとこであるアリー・ビン・アビ・タリブと結婚しまし、アリーに従ったグループは、"アリーの党 "を意味するシーアト・アリーとして知られるようになりました。したがって、シーア派にとって家族継承は重要なのです。
初期イスラム教徒のもう一方のグループはスンニ派です。中東のアラブ人支配者の大半を含め、世界のイスラム教徒の大半はスンニ派です。例えば、ヨルダンのアブドゥッラー2世のハシェミット王家はスンニ派であり、そのルーツは直接ムハマドに遡ります。
スンニ派イスラム教徒は、後継者は能力と功績によるべきと信じています。ムハンマドの肉体的な子孫はそれほど重要ではないため、スンニ派は家系に縛られません。彼らはムハンマドの死後、ムハンマドの娘婿であるアリーの代わりに、ムハンマドの親友であり義父でもあったアブ・バクルを後継者に選びました。アブ・バクルの信奉者がイスラム教のスンニ派となりました。
ムハンマドの後継者をめぐる意見の相違はイスラム史の中心であり、スンニ派とシーア派の対立の根源となっています。
何世紀にもわたってイスラム教スンニ派と協調してきたイランは、1500年代以降、シーア派イスラム教徒が大半を占めるようになり、今日では世界最大のシーア派イスラム国家となっている。 (イラン人はアラブ人でもセム人でもなく、民族的にはペルシャ人であり、インド・ヨーロッパ語族のペルシャ語を話す)。
イスラム教の2大分派のもう一つの違いは、マハディ(「導かれし者」)に関するものです。スンニ派もシーア派も、イスラムの偉大な終末の人物であるマハディを信じています。その人物は、ある意味キリストや救世主です。(やはりキリスト/ユダヤ教に対する反動力が認められます。)マハディは、イスラム世界における、やがて来る指導者なのです。
スンニ派は、マハディは未だ来てなくて、近い将来生まれると信じています。
シーア派は、マハディはすでに来ており、その正体もわかっていると信じています。それは第12代イマーム、ムハンマド・ビン・アル・ハサン・アル・マハディ(AD868年生まれ)、略して「イマーム・マハディ」です。イマーム・マハディは死んだのではなく、アッラーが普遍的な平和と正義、イスラムの世界的支配をもたらすために彼を地上に送り戻されるまで、アッラーによって隠されていたのです。
シーア派のマハディは、世界規模の戦争に介入するため、アッラーにより、啓示されます。イマーム・マハディは戦争に勝利し、地上での支配を開始する。イェシュアはマハディの治世の間に再臨し、マハディの権威を認める。イェシュアはマフディの後ろについて、アル・クッズ(「聖なるもの」すなわちエルサレム)で信者を率いて祈りを捧げ、イスラム教とキリスト教を統一します。
したがって、シーア派世界は戦争とエルサレムの問題で妥協することはできません。この2つの問題に関して、彼らの過激主義は、少しも変更したり修正したりすることができない基本的な宗教的教義なのです。
シーア派イスラム教徒のマハディに関する終末論的、キリスト論的信仰は、彼らにイスラエル全土を征服し、その過程ですべてのユダヤ人を殺すことを要求しています。誠実な和平合意という考えは、シーア派の世界観にとっては異質であり、矛盾しており、冒涜的ですらあるのです。
スンニ派の世界はメッカを中心としています。彼らのマハディの到来に対する見方は、それがより過激なものなのか、それとも平和的なものなのか、議論の余地を残しています。スンニ派のマハディは、イスラムの「ウンマ」(「国家」)帝国に世界平和をもたらします。
スンニ派とシーア派のイスラム教徒には極端なジハード主義者がいます。例えば、最も殺人的なジハード主義者はスンニ派の:ムスリム同胞団、タリバン、ISIS、アルカイダ、ハマスなどです。
ハマスがスンニ派のイスラム教徒であるにもかかわらず、彼らは長年にわたってシーア派のイラン神政によって支援され、資金援助を受けてきたため、イランに忠誠を誓っています。さらにイランは、2014年から2019年にかけてISISの暴力からレバノン、シリア、イラクのアラブ人社会を守ることで、一部のアラブ人社会の好感を得て来ました。
イスラエルに対するこの20年間の攻撃は、主にイランのシーア派政権によって資金提供され、扇動され、武器化されてきました。イランは核兵器の開発を目指しています。したがってイスラエルのは、イランを「タコの頭」、その代理人(ハマス、ヒズボラ、フーシ)を「触手」と見なしています(訳注:蛸は多くの文化圏で邪悪の象徴とされる)。
それ以前の戦争(1948年、67年、73年は、イスラエル、エジプト(1979年)、ヨルダン(1994年)の和平条約で終結しました。エジプトとヨルダンには穏健なスンニ派政権があります。これらの国のジハード主義グループが支配権を握れば、和平条約は無意味になります。
イスラエルは主にシーア派のイランとその代理勢力と戦ってきたため、この戦争は中東の覇権をスンニ派に譲ることになりかねません。彼らはイスラエルを愛しているわけでも支持しているわけでもないのですが、皮肉なことに、我々は彼らを助けることになるかもしれません。
今回の戦争によって、イスラエルと穏健派アラブ諸国との間で、より広範なアブラハム協定の平和条約が結ばれる可能性もあります。
イスラエルは意図するしないに関わらず、中東におけるイスラム史のバランスにおいて、少なくとも10年間程度は、シーア派イスラムに対し、スンニ派イスラムの勝利へと傾いてしまうかも知れません。