グローバル・ファミリー・ビジョン
- Asher Intrater

- Jul 16
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ティクーン・グローバル
イスラエル、エルサレム

ヨハネの福音書17章21節から23節に記されたイェシュア(イエスさま)の祈りには、神との一致と互いとの一致に関する深いビジョンが込められています:
「父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。彼らが完全に一つになるためです。また、あなたがわたしを遣わされたことと、わたしを愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです。」
21節では、神との一致に重点が置かれており、互いの一致よりも優先されています。私たちの統一は、神との一致の自然な結果です。しかし、神との一致が先です。このパズルを構成する最初の要素は、シンプルに、イェシュア(イエスさま)への信仰です。
22節では、聖霊の栄光を共に体験する次元が追加されます。この一致の第二の要素は、聖霊の火、デュナミス(力)、カリスマ(賜物)を受け取ることです。
23節では、私たちは神を父として愛を知り、体験する必要があります。この3つ目の要素は、御父の愛です。
美しい世界における美しい人々
この一致と団結が発展するにつれ、世界中に霊的に一つとなった人々が現れます。これが新しく出現しつつある世界規模のエクレシア(教会)です:あらゆる民族からなる特別な「選ばれた」民、王の祭司団(出エジプト記19:5-6、ペテロ第一2:9)。
このエクレシアは、時間の始まりから成長してきました。私たちの世代では、これまで以上に完全な形に近づいています。私たちは、このグローバルなエクレシアの神聖なパズルが組み合わさるのを願っています。
この人々の集団の関係構造とは何でしょうか?それは、個人や個々の奉仕団体が「所有」できるほど小さなものではありません。それは、評議会や総会が管理できるほど単純なものでもありません。枢機卿のためのものでもありません。使徒のためのものでもありません。
構造は組織的よりも関係的なものでなければなりません。関係に重点を置くためには、すべての誇り、地位、昇進を放棄しなければなりません。そのエゴの「袋」は、集まる前にドアの外に置いておくべきです。
私たちを結びつける関係的な構造とは何でしょうか?全員を含むためには、概念の根本に戻らなければなりません。神はアダムとエバに「生めよ、増えよ」と命じました(創世記1章)。神はアブラハムに「多くの国民の父とする」と言われました(創世記17章)。神は私たち皆がアイデンティティを得ている父です(エペソ人への手紙3章14-15節)。
すべての人類のための元の関係的枠組みとは何でしょうか? – 家族です。すべての民族の家族です。神さまは私たちの父です。イェシュアは御子です。エクレシアは元の家族の展開です。私たちは皆、兄弟姉妹です。誰もが愛と尊敬を受けるるべき存在として平等です。このグローバルな家族をグローバルな庭園に築く計画は、決して変わっていません。
注:信仰のグローバルな家族について語るとき、信仰の共同体はまず、それぞれの町や村における地域教会であり、共有の生活、相互の責任、パンを裂くこと、弟子訓練、牧会的長老制といった現実の関係を通じて表現されていることを忘れないことが重要です。人間の身体が個々の細胞と器官から成るように、メシヤの世界的な御体も地元の信仰の共同体から成っています。
アブラハムの信仰の家族
ある意味では、信仰の家族の始まりはアブラハムです。残念ながら、その最初の家族には痛ましい分裂がありました。その後、多くの分裂が生じてきました。しかし、信仰の家族におけるすべての分裂の根源は、ハガルとサラの分裂です。
その分裂から、現在の中東の困難や、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の間の対立が生まれています。イシュマエルとイサクから、アラビア人とユダヤ人が生まれました。もし彼らの間の傷が癒やされれば、民族的、国家的、宗教的なすべての分裂も癒やされるでしょう。
アラブとユダヤ人の和解は、私たちのパズル絵の4つ目の要素です。これは、イェシュアの愛を通じてのみ実現可能です。は私たちの罪を木(十字架)にて負い(イザヤ53章)、敵を愛する方法を教えてくれています(マタイ5:44)。これは和解よりも深いものです:それは家族、契約、そして一体性です。
この契約の突破口は、イザヤ書19章20節から25節に記録されているように、全世界に祝福をもたらすでしょう。この預言では、エジプト、アッシリア、イスラエルの間に幹線道路が建設されます。祝福が全世界に広がります。このビジョンは「イザヤ19の幹線道路」または「イザヤ19の祝福」と呼ばれています。
私たちはメシアニック・ユダヤ人として、アラブの兄弟姉妹に好意を表したいと願っています。創世記17章18節で、アブラハムは「イシュマエルがあなたの前で生き延びますように」と祈りました。この祈りは、イサクが生まれる直前に捧げられました。神はアブラハムに、メシア契約はイサクを通じてであり、イシュマエルを通じてではなかったことを思い起こさせました。しかし、アブラハムの心はイシュマエルとイサクの両方への愛で満ちていました。
私たちがメシアニック・ユダヤ人としてアラブの兄弟を好意を表す時、神の祝福が私たちに与えられます。彼らにも同じことが言えます。あらゆる個人や民族グループにも同じことが言えます。相互の服従は相互の祝福をもたらします。グローバル・ファミリーの5つ目の鍵は、互いを尊重して優先することです(ピリピ人への手紙2章3節、エペソ人への手紙5章21節)。
デイビッド・デミアン(ウォッチメン・フォー・ザ・ネイションズ)と私は、このグローバル・ファミリー・ビジョンにおいて美しいパートナーシップを築いています。私たちは互いを受け入れ合っています。私たちの友情は、アブラハムがイシュマエルとイサクの両方に対して抱いた心の表れです。このような相互の受け入れ合いは、イスラエルにおける他の集会や聖会などでも見られます。
私たちはメシアニック・ユダヤ人として、愛をもってアラブのキリスト教徒の兄弟を尊重することを求めています。アラブ人を尊重することは、私たちのユダヤ人としての召命を否定するものではありません。むしろ、それを確認するものです。その関係から、神の御心が現れます。イシュマエルが最初に生まれたことは、神の主権的な御心でした。イサクがメシアニックな契約の相続人となることも、神の主権的な御心でした。
イスラエルと教会の二重の回復。
霊的な祝福は常に相互的です。イェシュアを信じるあらゆる民族背景の信者は、信仰のオリーブの木に結びついています。イスラエルが召命を果たす時、諸国はそこに共に接ぎ木され得ます(ローマ人への手紙11章17-21節)。 この木は、信仰の歴史的なユダヤ人の根から成長しています。イスラエルの歴史は、すべての信者の共通の歴史です。世界のエクレシアの諸国は、その共通の歴史に一致しています。信仰のユダヤ人の根は、世界的な家族の一致の6番目の要素です。
エゼキエル37は、死者の復活の驚くべきビジョンを描いています。乾いた骨が集められ、神の霊が彼らに命を与えます。彼らは強力な軍隊として立ち上がります。この復活のビジョンは、今日私たちの心でも起こっています。神は私たちを骨と骨、靭帯と靭帯で結びつけています。彼の霊は復興をもたらしています。私たちは霊に預言し、「来てください、吹きなさい」(エゼキエル37:9)と告げなければなりません。
エゼキエルの幻は、イスラエルの民を指すのでしょうか?それとも国際的なエクレシアを指すのでしょうか?それとも死者の物理的な復活を指すのでしょうか?はい、すべてです。イスラエルの民族、国際的な教会、そして死者の物理的な復活はつながっています。
骨が命を得た後、エゼキエルは手に二本の棒を結びつける別の幻を見ます(エゼキエル37:16-23)。この幻も複数の意味の層を持っています。
最初の意味は、ソロモンの治世後に分裂した古代のイスラエルとユダの王国が統一されることです。しかし、これはまた、国際的なエクレシアがイスラエルの民と結びつく様子を描いたものです。この箇所では、イスラエルの民を「イスラエルの子ら」と、国際的なエクレシアを「イスラエルの全家とその仲間たち」と呼んでいます(エゼキエル37:16)。
グローバルな家族のための7番目の要素は、イスラエルと教会の統一です。要約すると:
1. イェシュアへの信仰 – ヨハネ17:21
2. 聖霊の力 – ヨハネ17:22
3. 父の愛 – ヨハネ17:23
4. アラブとユダヤ人の和解 – イザヤ19:20-25、創世記17:18
5. 互いを優先する – ピリピ人への手紙2:3、エペソ人への手紙5:21
6. ユダヤ人の根源 – ローマ人への手紙 11:17-21
7. イスラエルと教会の統一 – エゼキエル37
天と地にあるすべてのものは、イェシュアのリーダーシップの下、一つに結ばれています(エペソ人への手紙1:10)。世界的な家族が一つに集められています(エペソ人への手紙3:15)。この神聖な実験の一部であることは、何という喜びでしょう!


