羊を散らす?
- Asher Intrater
- May 30
- 3 min read
ティクーン・グローバル
イスラエル、エルサレム

罪の赦し、永遠の命、聖霊のシェキーナ(栄光)が臨在するなか、私たちがイェシュアを通して神からいただく驚くべき恵みのひとつに、病人を癒し、悪霊を追い出す力と権威があります。悪霊を追い出すことは、映画やドラマでは、奇妙で陰湿で、暗い儀式のように描かれます。しかし、真の悔い改めと、その後の純粋で高潔な生活へのコミットメントが伴っている限り、真のイェシュア信者の生活の中で実際には、ありふれた出来事なのです。
悪霊を追い出す能力について考えてみるのは、ある意味ワクワクすることですが、悪魔の働きに対する霊的戦いは、より広い、より共同体的レベルでもあります。個々の悪魔は罪や病気を引き起こすものの、より大きな悪の力は信仰共同体全体を破壊するために割り当てられています。エクレシアに対する共同体的な攻撃は、3つのレベルで行われます:
兄弟たちを非難する
教会を分裂させる
羊を散らす。
皮肉なことに、癒しや悪霊を追い出すことに最も熱心な人々が、悪魔に用いられて、信仰共同体全体にもっと大きなダメージを与えることもあります。
イスラエルと教会は、邪悪な蛇サタンの攻撃を受けている栄光の花嫁として描写されています(黙示録12章)。その攻撃の中心は次のように描写されています:
「私たちの兄弟たちの告発者...」黙示録12:10
ここでいう「兄弟たち」とは、もちろんイェシュアを信じる仲間のことです。非難は通常、ゴシップや愚痴という形で、一見真摯な「矯正」を装って行われます。そして、「兄弟たち」は誰でもなり得るものの、悪魔の攻撃はたいてい指導者に向けられます。私たちが牧師やその他の指導者についてゴシップや不平を言っていることに気づいたら、実は自分でも気づかないうちに、悪魔的なエネルギーで兄弟たちを非難する者になっている可能性があります。
第二の攻撃は、指導者を非難するだけでなく、からだの分裂を引き起こすというさらに悪いものです。霊的戦いについて、イェシュアはこう言われました:
「どんな国でも内輪もめしたら... 倒れます。」ルカ11:17
時に、人は自分が正しいと確信するあまり、御体に分裂をもたらそうとします。 「教会を分裂させる」ことによってもたらされる損害は、分裂を引き起こした一見正しそうな背景よりも、はるかに悪いことが多いです。(当然、信徒や指導者には道徳的な規律と説明責任が不可欠です。罪の場合、分裂は正当化され得ます。しかし、それは意見の違いから分裂を引き起こすこととは違います)。
最悪のレベルは、イェシュアによって盗人、破壊者、狼の仕業と呼ばれています。イェシュアは良い羊飼いですが、敵はやって来ます:
「羊たちを奪ったり散らしたりします。」 ヨハネ10:12
熱心な信者の中には、教会や集会に所属する理由がないという欺瞞があります。この嘘のキャンペーンにはあらゆる霊的な理由がつけられているが、結局のところ、弱い信者たちを「よみの門」(マタイ16:18)の前にさらけ出し、無防備にし、羊の群れや羊飼いから羊を散らしてしまいます。
私たちが病人を癒し、悪霊を追い出すことに熱心であるべきであるように、信仰共同体全体に対する悪霊の攻撃に反抗することにも熱心でいましょう。